西淀川公害について、より深く多角的な視点で学んでいきます。講義に加え、患者による語り部会や、それぞれの立場から公害問題に触れるロールプレイ、フィールドワークなどを予定しています。
*本ゼミナールを受講される方は、西淀川区で行う「実践・場づくり」への参加を推奨します。
プロフィール

除本理史(よけもとまさふみ)
大阪公立大学大学院経営学研究科グローバルビジネス専攻教授
大阪公立大学大学院経営学研究科教授。専攻は環境政策論、環境経済学。公害・環境被害の補償と被害地域の再生、原発賠償と福島復興政策、公害経験の継承などについて研究。大学院生時代から大気汚染公害と訴訟後のまちづくりに取り組む。西淀川地域については『西淀川公害の40年』(共編著、ミネルヴァ書房、2013年)を出版しており、あおぞら財団評議員も務める。その他の著書にEnvironmental Pollution and Community Rebuilding in Modern Japan(共編著、Springer、2023年)、『公害の経験を未来につなぐ:教育・フォーラム・アーカイブズを通した公害資料館の挑戦』(共編著、ナカニシヤ出版、2023年)、『「地域の価値」をつくる:倉敷・水島の公害から環境再生へ』(共編著、東信堂、2022年)、『きみのまちに未来はあるか?』(共著、岩波ジュニア新書、2020年)、『公害から福島を考える』(岩波書店、2016年)など。

藤江徹(ふじえいたる)
公益財団法人公害地域再生センター・あおぞら財団事務局長
2004年より現職。大阪市西淀川区を拠点に環境再生・地域再生に取り組む。2013年より「みてアート(御幣島芸術祭)」事務局長、2020年より「西淀川アートターミナル(NAT)」館長、2023年より「にしよど音楽祭」事務局長など、アーティストと市民をつなぐコミュニティ活動に携わる。西淀川や大阪をええまちにしたい、と願いつつ、いろんな人と協力して、あの手この手でなんやかんややってます。
アーカイブ
8月3日(土)
連日の猛暑のなか、2024年8月3日(土)13時~17時、ゼミナール「環境共生とまちづくり」があおぞらビル3階会議室で開催されました。
まずは、あおぞら財団の藤江事務局長から西淀公害の概要が説明されました。つぎに、公害患者の岡崎久女さん、上田敏幸さんから、被害の実態と、裁判にかけた思い、1988年度に認定制度が終了した際に子どもだった30代、40代の公害患者がいることなどが語られました。話の途中には、会議室の窓に「手渡したいのは青い空」と記されていることが紹介され、青い空が当たり前でなかった時代があったことに改めて気づかされます。
さらに、除本教授(大阪公立大学経営学研究科)から困難な過去を継承する理論的意義とともに、アート的要素を取り入れながら、水島における「困難な過去」を取り上げた「みずしま地域カフェ」の事例の紹介がありました。
本ゼミナールは、西淀川区で行う実践・場づくり「公害から環境共生」の関連プログラムで、アーティストの村田のぞみさん、アートコーディネーターの松岡咲子さんの参加もありました。受講生は4名が参加し、それぞれの立場で、いかにして困難な過去を継承していくのかなど考えを巡らせました。
ゼミナールの終盤、みなであおぞらビルの屋上にあがり、公害患者さんの長きにわたる闘いの結果、バトンを手渡された西淀の真夏の青空をみなで眺めました。





8月18日(日)
2024年8月18日(土)13時~18時あおぞらビルで、ゼミナール「環境共生とまちづくり」の2日目では、ロールプレイとフィールドワークが実施されました。
前半のロールプレイは、2グループに分かれて、フォトランゲージの時間から始まりました。各グループに4枚の写真が手渡され、「いつの時代か」、「場所はどこか」、「何をしているのか」などを考えながらタイトルをつけていきます。途中、「おもちゃ芸人」として知られる西淀野里在住の中田重里さんが顔を出され、写真が映し出す時代の地域の方の声を直接に聞くこともできました。
少しずつ場が温まったところで、ロールプレイの開始です。それぞれが市役所の担当係長、住民、工場の経営者、医師になり切り、一巡目のみ台詞が与えられたものの、それ以降は自由に話し合いを進めました。「実際、公害が起きたときにどう考え、どう行動するのか、当時の状況を考えながら、公害がなぜ起きるのか、なぜ防げないのか」を考えたのです。ある班では、実態調査を実施することで関係者の合意が取れ、解決への道筋が語られました。しかし、「実態調査を実施することがそう簡単ではない」との指摘がありました。
後半のフィールドワークでは、タンデム自転車に乗って、御幣島のあおぞらビルを出発し、福町・淀川河畔まで「大野川緑陰道」を走り抜けました。帰りは、福町の街中と、再度「大野川緑陰道」を経て、あおぞらビルまで往復しました。
帰ってからは、ゼミの振り返りです。
加害者、被害者の構図に捉われない環境教育のあり方、そのなかで、原点ともいえる患者の怒りや、運動の進め方などをどう伝えていくのか、環境教育とアートのかかわりなど、幅広く重要な問いかけがなされたように思います。




